生物学類生には哲学が必要?

生物学類生には哲学が必要でしょうか。私は必要だと思います。なぜかというと、私を含め、多くの学生が哲学的なものの見方を知らないがために、大学で学んでいる生物学の知識を最大限に活用できないからです。

 

例えば、動物保護団体に対して、生物学類生側の態度は驚くほど冷酷です。かつてアカムシを実験動物に利用することを中止してほしい、との要請が通ったことがあったのですが、これに対する生物学類生側の意見というものが、完全に動物保護団体をバカにしているというか、彼らの意見は間違っているとか価値がないとか、その類のものでした。自分たちの方が彼らより生き物のことを知っている、だから偉いんだというような、そんな優越感を作り出してしまっています。

 

これはずいぶん危険なことだと思います。なぜなら、自分たちの考えの絶対性を疑わず、相手と同じ土俵で話し合うつもりが毛頭ないのにもかかわらず、自分たちの考え方とか態度の構造が動物保護団体のものと同じであることに気が付いていないからです。

 

「動物保護団体のやつらは自分たちの理念に縛られ過ぎている。しかも、あいつらは科学の重要性を全く理解していない。」という考えがあると思いますが、これは、自分が科学という理念に縛られている点で―何らかの考えに縛られているという点で―動物保護団体と同じです。それでいて、自分の信じる科学の方が優れている、だから動物保護団体の考えは間違っている、と決めつけているのです。

 

こんな態度を取っているうちは、いつまでたっても問題が解決することは無いでしょう。なぜなら、お互いがお互いに自分の考えにとらわれてしまい、その枠組みから自由になれないからです。

 

これを解決する方法の一つとして、哲学があるのだと思います。

私は大学の「哲学カフェ」に参加しながら色々なことを話したり聞いたりしてきましたが、その到達点の一つとして、生物学類生にも哲学が必要だと思うようになったのでした。

 

ここでは、こういった考えに基づいて、私が考えたことをいろいろと書いていこうと思います。

 

なお、私が考えていることはおそらく哲学であって、生物哲学ではありません。生物哲学は哲学の考え方が前提の分野だと思いますが、扱うトピックの都合上、その橋渡しになるかもしれません。

あと、もちろんのことですが、私の考えは絶対に正解ではありませんし、絶対に間違いでもありません。私の考えに触れて、否定的にせよ肯定的にせよ、何かしら考えてくれることに意味があるのだと思いたいです。